2009年10月13日

嫌いなものに 知らず知らず自分が同化してゆくというオゾマシサを 他人目線で 外から見なければならない という残酷について。

28歳になりまして
1年前も
2年前も
3年前も
特に何も変わってないこの感じ 苦笑。。


成長無き
空白の月日でしょうか。


日記なんて
独り言。


読む人はいてくれて
ありがたいこと
感謝感謝 ではあるけれど

荒れている この精神では
まともに
和むこともかけず
だからといっても
昔のように
ドスの効いたこともかけず、、

独り言の
劣化が悩みどころ。



独り言は
独り言と
意識しない時が
楽しい。

他人に話すように
一人でしゃべるのは
なんか もうダメだ。。。

だからといって
どうすれば
良いのだろう・・・?


更新が
ぐんと減ってます
それは
純粋に
独り言である場合のみしか 書き込めない。

まったく
人のことを
気にしていない時だけ
ぼそぼそ すったかたと書ける。

twitterの先駆けのような
ブログ?

web-logだから
私のログであれば 良いのです。


私には
成長なんて
いらない。

いつもと
同じであることが
一番 大事。


私を
忘れてしまっても
私は
いつもと 同じく
あることが
大事だと
・・・・ なぜ そう思っているかは 自分で謎ですが
そう
決意しているらしいです(自分自身が)


最近
どうでもいいや と 思うことが
多くなりました。

大人になるということは
醜悪ですね。

周りも
大人で
醜悪です。

意味するもの
すべてが
わずらわしく 醜悪です。

ただ
店終いの
21時くらいの
竹下通りは
きれいでした。

原宿駅前の吉野家の中は
80年代のようでした。

過去を
味わう
自分の
脳が
醜悪です。

どうか
過去も未来も
立ち消えて
今しか見えない
脳になりたい。


いろんな ものに
なるべく
かかわり

いろんな ものから わすれさられ

なにものよりも
断ち切られ

なんの 印象も残さない。


猫は
どうして
死に様を
人に
見せないのだろうか?
posted by powered by steel at 02:40| 東京 曇り| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

一日十発セックスしたら学校なんて行く気にならない

一日十発セックスしたら学校なんて行く気にならない


まさに
金言。

コンビニで 立ち読みして
顔が歪む
会心の笑み。

こういう言葉に出会えるだけでも
人生捨てたもんじゃない。
posted by powered by steel at 23:35| 東京 雨| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

コシヒカリの国として

まず、
にいがた市の
高校で
甲子園っていうのは
なかなか大変で、
私の印象としては
強豪というものはなく
古豪とか 昔は強かったよね とか
県下 どんぐりの背比べで
生徒と調子に左右されて
代表が決まっていた感じがする。

私の母校も
遠い昔
甲子園で いいところまでいったらしい。

古風な校歌なので
とある著名な作詞家が誉めたとか誉めなかったとか・・・
(諏訪せいりょうには 勝てませんずら・・・

↑昔の栄光は
寂れて
もううちの高校が甲子園に行くことは
きっとない。

それは
さておき

新潟ブンリである。

昔は
田んぼの真ん中に
そびえる怪しげな
高校であったのが
減反やらなんやら
ちかくにユニクロができ
大きなスーパーができ
ココイチ(カレー ができ

住宅地、ちょっぴり郊外な高校な趣になった
ブンリ高校。

そのブンリが
ベスト4です。

新潟で どんな盛り上がりか しりませんが

はっきりいって
キセキじゃなかろうかと。

最弱
一回戦止まり
くじ運無しの にいがたが・・・

ベスト4です。

私は
あまり甲子園を見ないので
よく状況を つかめていないんですが(例えば強豪不在の本大会・・とか そーいう作用があるかどうか 知らないのだ。

最弱にいがた しかも 市内(=にいがた市内 の高校。

ドカベンのめいくん
ではなく (全国区ですね 名前だけは。。 結構 あたまいいのよ めいくん 受験たいへんなのだと

ブンリ!


落ち着かせて
虚心坦懐で

応援したい。

そんな
仕事先で
待機中の私。
posted by powered by steel at 18:19| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

嫌いなもの

8月。
さっぱり夏らしくなく。
立ち消える夏。

嫌いなものは
重要で
何で嫌いなのか 考えることが重要で
何で好きかを考えると同じに
なんで嫌いなのか
どうして受け入れられないのか が 重要で。

グータンぬーぼなんて番組
たいしてよく観ていないけれど

今日のは
サリュー と 仲氏 と ユウカ。

サリューは好きで 歌も好きで
この番組で 惚れ直す綺麗さで

里依紗氏は
ブロスで変な連載してたのを見かけて
だいじょぶかと 心配したが
それはそれで
みずみずしくて 良くて

ゆうかは
きれいになって
今がとてもよくて
いい年の取り方で。

リップスライムが
好きではない理由は
(嫌いなわけではない)

@僕の友人が 赤塚富士夫なジャケットのアルバムを
買ってきて とてもいいから 君も聞きたまへと推薦してきたんだがぁ
聞いて まぁ ポップで 楽しげで
よかったんだけど
どーも ぐっとこなかったので
そんなに良くない という印象が 今でもあるから
(だからといって 悪くもないし、良い曲もあるけれども)

A女子に人気があるから 焼き餅。

Bテリヤキボーイズとか なんかね

Cわかりやすいことは重要で
かっこいいことは重要だけど ちょっとわたしにゃ軽すぎる。


で SUさん。

恋人は高2が主らしい。




それはそうと

なんども反芻するけれど

気に入ったもので
周りを固めたい

嫌いなものを無理してまで
受け付けるような気分に無い。

ダメなものは ダメで

好きでも 嫌いでもないのなら
それは すきじゃないもので

好きじゃないものであれば

たいしたことじゃなくて



努力と我慢は 違うもので

自分で自分に 言い聞かせる なんて
馬鹿らしくて


ビールが飲みたくて

でも
胃が痛くて

かなしいけれど
涙が出る時は三文オペラで。

かなしいときは
涙が出なくて

永遠が長すぎて

いつから 安らいでないか を
3秒考えて

4秒目に
眠るぐらいの
能天気さだけが
私の取り柄だと 認めないことになって。


夜が明けなければいいのに
posted by powered by steel at 00:27| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

はちがつ。

夏らしくないけれど
8月。 夏。

友人らと
一泊二日で 旅行に行き
楽しく過ごして
帰ってきたのだが

なんか気分が 良くない。

最近、何でもそうなのだが
楽しくても
その後、まったく楽しくない。


久しぶりに遊んで
突然楽しくなると
その後の虚無感が 半端なく という病 な気がする。

祭りの終わり病というか
なんというか。

酒も
飲んでない時と 飲む期間とが
あったりなかったりで 体に良くない。


なんか 何をどうしたって
良い感じになる兆しが見えんな・・・

あー

夏なのに
冷夏ぎみだし
腹も出てきて
痩せたいし

んー

だめだなぁ

夢も希望もなく
月曜。

仕事も 人間関係(社会)にも
望み薄というか もう見込みが薄いので

今まで以上に
個人的に 非社会的に
何かしらを
見出すための”悟り”を開かなくては、、

孔子曰く
40にして迷わず。

迷いの20代〜 迷いが抜けるまで
しばらくかかりそうだ、、、
posted by powered by steel at 01:40| 東京 雨| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

えろー 独白 毒はくー

寒い季節より、暖かい季節のほうがいいのです。

寒い季節は
内にこもりがちで 何をするにも億劫でした。
春になるとおかしな人たちが現れますが
その人たちの気持ちが少わかる気がします。
変なことはしませんが、自分の気の持ちようが
すこし半音上がって、うわずっているのは
歳を経るごとに感じるからです。

私には周期があるのか
モテ期とはいませんが、
まったく女性に出会わない時期と
ボロボロいろんな方と出会う時期とがあるような気がします。
でもこれは
私の周期ではないのかもしれません
大いなる地球の何かの
自然か何かの周期が バイオリズムが
私や 私の周りに影響を及ぼして
出会いのキッカケフィーバーを振りまいているのかもしれません。

私も大人になったので
女性を見る点で
一つ余計な解釈が加わりました。
スタイルがいいか悪いか ではなく
この人と気持ちよくセックスできるかどうか
という予想をする場合があります。
例えば、テレビでしか見ていないので
実際会うと、印象が違うかもしれませんが
このコはきっと、いいフィーリングじゃろうな とか
ああ このコはきっと閨(ねや)を共にしても
気持ちよくないだろうな とか。
もっと下世話なことだと
ああ、このコの口元は・・・とか、
至極、下世話なこと冷徹に考えていたりしています。

子供のころは、この視点は皆無でしたのに
まったく余計な予想です。
ただ 勘違いしてほしくないのは
この予想は
このコはエロそうとか やれそうとか そーいう予想ではない
ということです。
もっと感覚的で
全体的な印象として、、
熱とか(低音 高温??
肌の感じとか (すべすべ?もちもち?
抱いた時の腰の据わり感とか(えろいですね

たまっているといえば、それまでかもしれない
でも、なんとなくこのコの場合は・・・と
頭の片隅で考えてしまう。

でも こーいう視点て
女性にもあるのだろうか と ふと。

やっぱりデカイ男が、とか
細いのよりは てぷっとした感じが上に乗っかてると安心とか
デブは重いし肌の感じが油っぽい
それよりサラサラで細くて硬い(身が詰まった)のがいいとか
同じ人間なので
そーいうの
女子だって考えているはず。
ちんちんが大きいのとか
まんまんがステキとか
そーいうのは直接すぎて、実際はそれほど
重要なファクターではないはずかなと。
あまりにも小さくあまりにも大きいのは
物理的に物足りない もしくは 痛いで
良くないのだろうし
男も入れてみて んーなんかこー しっくりこない、、
というフィーリングがあることはあるでしょうが
でも 抱き感 というか
触れ合った感が いいか悪いか これが重要なのかなと
↑のエロい話を弁解すれば
このコとセックスしたらどんな感じ?という予想も
そーいう感覚をイメージを・・・
(あ 弁解したつもりが やっぱりエロい だめだ変態だ

なんというか
春なので
ブログもエロいかもです。


全然 どーでもいい話ですが
色恋において
年齢は明らかに武器です。

男は 歳をとっているだけで
若い女のコからして ポイント高めです
(内容はたいしたことがないのに、、あー)

女のコだって
大人の色気、落ち着き、話の理解感と
焦らず騒がず、小雪のように振舞えばぁ
年上も、年下も 百戦百勝でしょう。

若いのも 強みでしょうが
お金も気分も ちょと落ち着いてからの
色恋は それはそれで。 と 個人的には思うのです。

まぁ
私の場合
モテ期的な状態でも
すべて 見逃し三振ではありますが、、、

色恋関係なく
学生時代の女子の友達にも
旧交を温めたい気持ちもありますが
この歳になると
いろいろめんどくさいことになっていそうで

人生とは
というか
総じて めんどーくさい。

そーいう意味で
私は
ほんと、悪い人間だと つくづく思うのです。
Lonely
but
so simple.

でもそれは 良くないと 心のどこかで引っかかりながらで
自慢できるような在り方じゃない と。

ただ 弱さ寂しさで 明らかに複雑なる道を爆走するのは
やっぱりできない。

だから 僕は駄目なのだろう たぶん。
posted by powered by steel at 02:45| 東京 雨| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

また散々文

「あなたのため」という言葉ほど
悪趣味な言葉は無い。

誰かの
尺度で
自分の尺度が
社会的に
不適合だなんて
言われたくは無い。

だれが
1m という単位を決めたのだろう?

便利がいいから
長さを統一しただけであって
それが
肘から手の爪先までの長さを1mとしてたっていい

便利がいいことが
正しいなんて
ことがあってたまるか

幼くて
間違いだらけで
恥知らず



何が悪い。


この何でもありの世の中で
体制 というものがあるのなら

この何でもありという事態自体のままでは
困ると
完全善を振りかざすのが
体制 なのであろう。

煙草は 悪
深刻なことを茶化すのは 悪

誰でも
悪だと 思うことを

非の打ち所がない
ことを
盾に

悪を犯した人を
規定を外した人を
罰する
「あなたのため」に名のもとに。



裁判員制度。

一個人が
人を
裁くのではない
社会が
人を
裁くのである。

ブログで
炎上 というのは
ネットという社会で
そのペナルティーを犯した当事者(筆者を
裁く行為。

裁かれたものは
謝罪をし
不適切な書き込みを削除する
もうそのような軽率なことをしません と表明する

これが
現社会の 裁判においても
謝罪をさせ
もうしないと 言明させる ってなプロセスを
経るのもいいかもしれない。

私たちが
社会と
接しているという実感を持つのは
その社会のルールに反する行為を罰したり(司法)
合議によってルールをつくり(立法)
何を優先させ 何を実行するか(行政)
を決める時だろう

私たちは
社会と
接している
感覚が無い

官僚が無駄に有能で
政治家が青臭く
弁護士に金を払って雇わなければ やる気がない からだろう

裁判員制度というのは
社会に
組しているという実感の発露でしかない。

社会を構成している
人間として
どう裁くべきか
意見する

それは 極悪犯罪者を憎むためではなく
被害者の腹いせの代弁者としてではなく
社会の公正と
社会の秩序のため で なければ

社会の名のもとに
裁くことは できない。



「あなたのため」の名のもとに と
「社会」の名のもとに

社会的な制裁を
自己研鑽の具として 代入することは
間違っている。

幾ら
世界中に
垂れ流す
ブログであっても
それが
間違いで 馬鹿で 愚かであっても
そんなこと
腐るほどの 情報の中では
ゴミも 塵ほども ことでしかない。

社会として
限度と

一個人の戯れに
目くじら立てることと


いつの時代も

声が大きなヤツのごり押し。

どんなに頑張っても
公正は
得がたい
だからこそ
公正を求めなければならない

完全な公正ではなく
許容と
寛容と
そして
あまりにも度が過ぎるものには
ペナルティを

公正とは
恐怖政治ではなく
許容・寛容
そして、馬鹿なことが 間違ったことも
かけない社会なんて

くそ食らえ。


私は
秩序と混沌を愛する無政府主義者。

想像してごらん
政府の無い世界を。

きっと なくても
なんとかやっていけるし
そのうち 政府っぽい機能が 出てくるだけなので

問題は
「無くては困る」ではない
「無いなら創る」である。

無政府主義者らしくない無政府主義者なのかどうか
知ったことが無い
無い ということは
後は作るだけなのである。

創られたものが
意味を無くしているのに
守り通す意味など
何処にあるのだろうか?

意味が無いのなら
作り直す。

伝統とは
守ることではない と
京都の人も
言っている。

posted by powered by steel at 02:05| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

風が強い なんか外でごーごー鳴っている

はしのえみが

「しんどい」と思ったら 結婚はダメだとのこと。

うむうむ
しんどい と
ちょっとでも思ったらダメだわな。。。

つじのぞみは
なぜにテレビに出るのだろう・・・
あ 旦那がそんなに稼いでいないからか、、
吉岡みほが 深夜のテレショップっぽいのに出てたな、、
グラビアにて イツザイ感が ほとばしってるなぁと
昔思ったが
今では ママさんだもんな
旦那の変わりに 働かないとなんだなぁ、、、


結婚とは
許容であり(しんどいと思った時点で 許容できていない)
道づれ である。

自分の人生に
他人をつき合わせるのである
いわば 自分の人生の
道づれ なのである。

無意識に
道づれに できる できない
を 頭で判断してしまっていることが
あるやもしれない。


いろいろ
貧富の差とか 身分とか ありますが

結局
道づれにしなければならないし
結局 結婚となれば 道づれになってしまうのだから
一緒に みちづれになってくれる人に
出会えることは
とてもとても 尊いことかなと。

言葉は悪いですが
みちづれ というのは とても ロマンチックではないかと
個人的には思う。


つじのぞみ 曰く
結婚はスピードとのこと
一目ぼれの太陽君を
たゆまぬアタックで篭絡したのは
ていの良い 男子を うまく自分の人生に組み込んだ
良い例なのかもしれない。

男にとっても
女にとっても

相手は 道づれなのである。
posted by powered by steel at 01:08| 東京 不明| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

弱虫

私は
弱虫なので
自分が窮地に立つようなことはしない。

リスクを
考えてしまう。

大幅に損をこいても
立ち戻れるすべを
考えている。


精神的に
強く何かに
執着することは

精神的に
無防備に近い。

決めること
頼り切ること
思いを深く込めること

その裏返しは

致命的なダメージ


人間、
そうわかっていても
信じたいものを信じ
頼りたいものに頼り
何かに意味を込めようとする。


私は
そんな
精神的に窮屈さを
好まない

それが
弱虫で
何も得ることの無い 人生だと
うぞぶかれていたとしても



長い春も
私は
好まない

温い冬も
私は
好まない

生殺し
無駄に続く関係

煮え切らないこと
煮えきろうとしたりしなかったり

妥協の成り行き


後で
深い後悔になりそうなものを
その時の
寂しさや
悲しさで
お茶を濁すようなことは
好まない


後々の
ダメージが
怖いから。
posted by powered by steel at 03:11| 東京 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

さんぶんふぇあー

疲れた。

二十代後半というのは
なかなかいい時期だ

15、16とは違う
惑いがある

あてのない
違和感や

ありあまった余剰

そーいうのではなく

ちょっと
切羽詰ってきた感がある

女性なら
結婚を考えるもの
無理は無い と
この歳になって
ひしと感じる。


ジュリアン シュナーベル

嫌いじゃない


村上隆

よくわからない

価値が
あるとか ないとか って

欲しがるやつが居れば
価値がある

欲しがるやつが
いないなら
価値が無い


誰も
欲しがらないものばかり
つくったって
仕方が無い。

まず
自分が
欲しいものを
創る。

他人が欲しがるものなんて
わからないのなら
まず 自分が欲しいものをつくる

一体
自分は
何がほしいのか?

人の
欲求なぞ
自我ではなく
「他人の欲求」

自分が
何が
欲しいのか

自分は
一体
なんなのか

その
問いは
すなわち

自分以外の
誰かへの
目線に
繋がる。

哲学は
自分への目線
自分を超えて それ以外への目線

posted by powered by steel at 03:04| 東京 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする